PROFILE


過去の失敗・弱み・恥ずかしい話も
全て曝け出しています🌈
1 自己開示
   
誰だってありのままの自分を開示をしていくことには
抵抗がありますよね。
     

    
元々、私は親しい人には
聴かれると包み隠さずに
自分の事を話すタイプです。
    

     
ですが、
私のことを知らない人や職場の人などに、
ありのままの自分を見せる事には抵抗があり、
中々素の自分の心の内を開示していくことはありませんでした。
       
     


   
何故かというと、
     
いい人と思われたいとか、
弱みを握られるのが嫌だとか
どう思われるのか氣になるとか
批判されたくないなど、
     
「孤独になるかもしれない恐れ」が
強くあるからです。
       


     
そして、
自分の価値を低く見積もっているために、
それが恥ずかしさとなって現れて、
「自己開示=恥ずかしいこと」と
括っていました。
      
       

    
ですがそんな私が今回は、
    
私の生い立ちや人生観も、
そして、
自分も人も傷つけてしまった猛省した出来事や
エネルギーを注ぎ込んだチャレンジ話など、
ありのままの私を曝け出して、
赤裸々告白致します。
    
     
      
✔️なぜ私が今の活動をしているのか
✔️私の生い立ちと人生観
✔️どんな思いを持っているのか
✔️これからのビジョン
     
について、
熱く語ります‼️
     
      

「有吉結楽(ゆら)」が
どんな人間なのか
よく見えてくると思います。
     
     
       

現在は、
「自分満たし感情コーディネーター」として
活動しています。
    
     
     
今でこそ、
自分史上最強メンタルを身につけ、
     
氣分に合わせて洋服を選ぶように、
その日その時の自分が
どの感情をコーディネートするのか
自由に選び、
その感情で過ごすことを許せるようになりました。
     
     

どんな感情で居る自分も許可することで、
フッと楽になり、
   
楽しみながら波動をあげて、
      
望む未来を創っていけるようになりました。
   
     
    
ですが、
最初からこうだった訳ではありません。
2 生い立ち
    
私は、福岡県筑豊の育ちです。
    
    
両親と1つ下の妹、祖母の5人家族で
特に目立つこともない、平凡な家庭に育ちました。
      
      
      
父は
真面目で負けず嫌いで自分の信念を貫く国家公務員
         
母は
独自の世界観を持ったアーティスト気質の主婦
妹は
仲間作りが得意な、繊細宇宙人
    
今は亡き祖母は、
精神疾患を患ってはいましたが、
私たち姉妹に、こっそりと飴をくれる
優しい祖母でした。
    

私はというと、
とにかく「いい子」「お調子者」「目立ちたがりや」「笑うのが好き」「ツボに入ると中々抜け出せず、ずっと大笑いしている」
「寂しがりや」「恐がり」「人から好かれたい」「恥ずかしがり屋」「勉強嫌い」「アクティブ」な元氣で明るい子でした。
    

両親のことが大好きなので、
両親の言う事を聞き、
褒められるように、
自分の思いを抑えて過ごし、
大きな反抗期なんてありませんでした。
(後々、20代で爆発しますが。。。)
何の不自由もなく
過保護に育てられました。
    
     
     
幼稚園に通っている頃、
入院することがあり、
     
その時の看護師さんの優しさに憧れて、
将来の夢は看護師になりました。
      
      
途中、将来の夢が
ピアノの先生になるとか、
歌のお姉さんになりたいとか、
体育の先生になりたいとか
変わっていますが、
   
それは本心ではなく、
周りから、可愛く思われたいとか
すごいねと言われたい一心で、
周囲の目を氣にしての夢だったことを覚えています。
 
     
     
今考えると、
既に幼少期には、
周囲の目を氣にして生きていました。
          
      
     
     
小さい頃から
人の目を氣にしていただけに、
     
自分の純粋な夢も
いつしか着色されていました。
       
     
幼稚園の頃は、
「ただ人の役に立ちたい」、
「人に優しくしたい」、
「元氣になってもらいたい」、
「癒しになりたい」と純粋な思いを持っていました。
    
      
     
    
だけど小学3年生辺りに、
周囲の目や評価を氣にしだしてからは、
   
看護師になった私をみて、
「周りがどう思うか?」、
「私をどう評価するのか?」、
「私をどう観るのか?」に
意識が向くようになっていました。
   
    
同じ目標や夢なのに、
     
それに向かう為の原動力が
変わっていたのです。
     
      
      
何はともあれ、
ストレートで看護師の道に入ることになります。

3 念願の看護師の道
     
念願の看護学校に入学できて、喜びもひとしお。
     
素晴らしい先生や友達と出逢いました。
    
      
この看護学生の間に出会った
先生や友達、患者様方には
大変濃厚で、
貴重な経験をさせて頂きました。
      
     
「生きること」「死ぬこと」「人との繋がり」「ぬくもり」
「感謝」「看護とは」「謙虚さ」「助けること」「寄り添うこと」
「学ぶ姿勢」「お互い様の心」「共感」「傾聴」「同情」「同調」
「生命とは」「人の真理」「家族」「支え」など、
本当にたくさんのことを
考えて、感じて、行動して、氣づいて、伝えて、自分が変わって、
周りも変化して、
    
絶え間ない進化の中で
深掘りしていきながら
学びながら成長させて頂きました。
       
     
この時、一緒に学んで成長してきた友人は
今でも心の繋がりが深い大切な存在です。
     
      
      

そして遂に、
幼稚園の頃から夢である看護師になりました❗️
    
      
ですが、やればやるほど、
看護師の仕事が合っていないことに
氣付き始めました。
    
     
この時既に、
「ただ人の役に立ちたい」、
「人に優しくしたい」、
「元氣になってもらいたい」、
「癒しになりたい」という純粋な思いは薄まっており、
    
周囲の人が私をみて、
「どう思うか?」、
「どう評価するのか?」、
「どう観るのか?」に
意識が向くようになっていたのです。
       
    
      
だから、
看護師として、私らしく、
私のやりたいことを表現していくというより、
周囲の目を氣にしているため、
       
全くダメな自分しか見えなくなっていました。
      
     
自己評価より、
他者評価を優先しているため、
     
仕事を楽しむ余裕も直ぐに失せてしまいました。
    
4 想像とのギャップからどん底へ
      
この頃、
看護師にスポットを当てたテレビがよく
放送されていました。
海外で活躍する看護師、
ホスピスで末期癌の方に寄り添う看護師、
車椅子の看護師、
救急医療現場で夜通し集中してテキパキと仕事をこなす看護師、
お産に立ち会う看護師など、
様々な看護師のプロをテレビで観ては、
感動して、
    
自分もこんなカッコイイ頼れる看護師になるんだ!!!って
張り切っていたことを思い出します。
    
      

私の目には
正しく『白衣の天使』が写っていたのです。
     
      
       
ですが、
現実はというと。。。。。、
     
     
甘ちゃんだった私は、
常に先輩や同期の看護師の
フォローがないと働けない始末で、
     
分からないことだらけで、
いつも怒られっぱなし。。。
     
     
患者さんと親しくなり過ぎて、
家族のような距離間で接していたため、
     
患者さんが亡くなる度に、
家族と一緒になって号泣していました。
      
    
       
感情移入し過ぎるし、
全く看護師として機能していない自分は、
      
テレビで観たようなプロのかけらもなく、
       
看護師には向いていないと体感し、
2年で退職しました。
      
    
    

かなり、
落ち込みました。
    
     


小さい頃からの夢が崩れ去った訳ですから。
       
      
自分の将来を期待していた分
その落ち込みと言ったら半端なかったです。
     
     
       
仕事を辞めたその足で、
違う自分になりたくて、
     
美容室に行き、
ピンクの髪にしてもらいました(笑)
     
     

そこから、
1ヶ月ほどでしょうか、
      
車で旅へと出かけました。
      
      
旅から、戻っても
まだ仕事をする氣持ちになれず、
      
半年ほどぐうたらな生活をして
のんびりと過ごしました。
      
      
     
         
経済的な問題もあるので
そろそろ働こうと思い、
また看護師として復帰する事にしたのです。
     
      
場所を変えれば少しは働けるのかと思い、
訪問看護をしながら、
助産師学校受験に臨むことにしました。
      
      
勉強嫌いの私が、
これまでの人生で1番勉強をしたのがこの時です。
      
     
なぜ助産師を目指すことに
なったのかというと、
看護学校の実習で赤ちゃんの誕生に
立ち会ったとき、
     
それはそれは
感動したからです。
      
     
看護学校からそのまま助産師学校に
入学していれば楽だったと思いますが、
     
このとき、看護師として血液内科で働いてみたいと思っていたことと、
    
きっと、
先に助産師になったら、
もう看護師になることはないだろうと
感じていたからです。
       
結局、看護師経験を4年間してから、
助産師学校に入学し、
助産師になりました。
    
5 助産師としての挑戦と結婚
      
助産学生への道は、
私にとって簡単ではありませんでした。
      
       
元々、勉強嫌いなので、
助産学校に入学するまでが
自分にとっての難関だと感じていました。
     
    
その頃、
お付き合いしていた方とは、
そろそろ結婚の話が出ているところでした。
      
だけど、結婚する前に、
助産師になりたい事を伝えて、
   
助産師になるまで、
待ってもらうことになりました。
       
   
学費やその後の生活費を稼ぐためにも、
訪問看護をしながらの勉強で、
案の定、仕事で疲れると集中力がなくなり、
勉強が捗りませんでした。
      
これでは志望校に入れないと思った私は、
受験前2ヶ月に仕事を退職し、
      
勉強のみに集中することにしました。
    
     

その2ヶ月間は、
氣が狂ったかのように
寝る間も惜しんで、勉強しまくりました。
     
  
何度も言いますが、(しつこいですが😁)
勉強嫌いの私が!です。
      
あんなにやれたんです!
     
自分でも不思議でした。
     
     

予備校に入り、
入ったばかりの時には、
英語のテストで点数が全く取れず、
    
当時27歳の私は、
19歳の予備校生に学力が全く及んでいませんでした。
先生からは、「今年は諦めてください」とまで言われてしまいました。
    
     

頭にきた私は、
その怒りエネルギーを全て!
助産師になるべく
勉強のエネルギーに変えて
やってやりました!!!
    

そしたら、1ヶ月後のテストでは、
19歳の子たちの点数を
抜かすことができました。
      

やればできるじゃん!と
氣をよくした私は、
益々やる気がみなぎりました。
     

そして、
2ヶ月後の試験で無事に、志望校に合格‼️
しかも、
当時、九州で1番難しい助産学校にも合格できました。
(ただ、そこは校舎が古くて嫌だったので
行きませんでした。)
 
      
学校に入学出来さえすれば、
もう助産師になったも同然と
思っていたので
氣もちは既に、
助産師になった後のことに向いていました。
    
     

でも!!
予想以上に
助産学校は厳しかった‼️
    

学生生活が1年間しかないので、
勉強も実習も
ギュウギュウの詰め込み放題で、
      
本当に寝る暇がないほど
毎日が大変でした。
     
      
     
だから、
精神状態が不安定になる人が続出😆
      
    
余裕がなくなると、
人間って
    
人のことなんて
全く考えられなくなることを
身をもって体感できた
1年間となりました。
      
     
     
卒業式の数日前まで実習があり、
みんな疲れ果てていましたが、
卒業となると、
嬉しくて仕方ありませんでした。
     
      

この辛い日々が終わる!!
     
      
そして、
助産師としての歩みが始まる!!!
     
      
喜びと情熱で溢れかえっていました✨
    

卒業してからは
結婚への話がどんどん進んでいき、
無事に結婚いたしました。
   
   
    
      
この時、
助産師になれたし、
結婚もして、
幸せの極みでした。
     
6 使命ってこんなに楽しいの!? 
      

そこからの助産師人生は
楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
     
      
特に、助産師になりたての5年間は、
職場が家のような感覚で、
       
ずっと働いていても
苦痛にならないくらいやりがいがあって、
楽しくてたまりませんでした。
       

まだ当時は、その職場に
助産師が3人しかいなかったこともあり、
       
人気の産婦人科で勤めていたので、
夜勤も含めて
19連勤のときもありました。
     
    
緊急オペや、お産ラッシュの際には、
夜中であろうと、
次の日が日勤であろうと
呼び出しがあるわけですが、
    
そんな時でも、
「いつでも呼び出してください」と
伝えていたし、
      
呼び出しが嬉しくて、
直ぐに家を飛び出していました。
     
      
分娩進行中、
陣痛で氣が狂いそうになっている方もいらっしゃいます。
そんな方に、
休憩したりする事なく、
十時間以上寄り添って、
腰を摩り、
励ます事も多々ありました。
    
    
友人からは、
助産師になった私を見て
キラキラしていて
眩しいよと言われていました。
        
       
自分でも、
この仕事が天職としか思えないほど、
エネルギーが湧き出し、
     
妊産婦、褥婦さんに
いつまでも寄り添えるし、
家でも、
マザークラスや記録のことなど、
もっとこの産婦人科が良くなるように
考え続け、
かなりの時間を奉仕していました。
      
      
研修にも、毎月のように
県外まで受講しに行って、
      
いい部分はどんどん取りれてもらい、
進化を楽しんでもいました。
      
     
      
私生活では、
助産師になった年に結婚をして、
     
夫とも幸せに暮らしていました。  
      
夫は優しい人なので、
すっかり頼りきり、依存しまくっていました。
      
     

友人とも旅行をしたり、
食事に行って、
遅くまでおしゃべりをしたり。。。、
     
この頃は、友人といれば、
常に大笑いをしていました。
     
     

オシャレが好きだった私は、
雑誌の切り抜きをしては、
気に入った服を注文したりして取り寄せ、
欲しいものも手に入れて満足していました。
       
       
     
毎日、やりたいことを
やりたいようにして楽しんでいました。
     

すごく色々なことが順調で、
幸せで満たされていました。
     
       
7 自分を無視してきた代償
         


だけど、
ある日、
一気にこの生活が崩壊したのです。

         
なぜそこまで一気に崩壊したのか
その時は分かりませんでした。
     
     

何年か経ち、
自分のことを俯瞰して
見られるようになってから
   
漸く理解できました。
     
      

原因は、
    
自分の声を無視して、
    
「ありのままの自分」で
     
生きてこなかったからでした。
      
         
     
       
生きていく上で、
人って成長をしていくものですが、
     
その成長をしていく段階で、
     
自分の「ありのまま」を
表現していくことが
できなくなっていたんです。
         
       
     
    
社会で生きていくためにも、
自分を守るためにも、
     
私の場合には
必要な手段として
身につけた術だったと思います。
       
           
     
☑️人に合わせる。
☑️周囲の目を氣にして同調して生きる。

☑️いい人でいる。
☑️真面目に生きる。
☑️自分の想いや感情など表現すると、
 意見が違う人から批難されたり、
 仲間外れされる可能性がある。
☑️自分を表現することは恥ずかしいこと。
☑️素晴らしい人間だと思われたい。など
      
様々な思い込み、
信念などが
     
「ありのままの自分を表現する」ということから、遠ざけていました。
      
      

自分に意識を向けて、
自分を観て、
自分を知り、
     
本来の自分を表現していくことを
してこなかったんですね。
      
         
    
       
       

素の自分、
本来の自分、
自然体の自分、
ありのままの自分。。。。。、
      
       
ここから逸脱し、
鎧を着た自分で、
自分を表現し、
     
楽しんでいるつもりでいました。
         
      
     
でも、これは勘違いだったと
      
後に、痛い目を見てから氣付くのでした。
      
         
      

本当は、どうしたい?
本当は、どう思ってるの?
本当は、何を伝えたい?
本当は、どう生きたい?
本当は、どう在りたい?
     
      
    
「本当は、、、、?」
     
      
      
     
全く、
自分に耳を傾けることをしていなかった。
    
全く、
自分の身体の声を聴いてこなかった。
   
全く、
自分の感情に共感してあげてこなかった。
   
全く、
自分がどうしたいのかを
聴かないふり、見ないふりして
人に合わせてきた。
      
      
       
     

もう、
    
自分という生命の存在価値が
無いに等しいほど、
    
       
自分で自分のことを無視して
生き続けてしまっていたんです。
       
      
      

で、
ある日、
    
内側の私は
大噴火しました。。。。。。
         
    

長年鬱積されてきた
感情エネルギーが
爆発したんです。
       
     

顕在意識の私と
潜在意識の私のギャップが
     
大きくなりすぎて、
現実世界で崩壊。
     
       
     
      
      
本来の自分を生きてこなかった私は、
生きていても生命の価値がないと感じ、
      
もう現実が
どうでも良くなってしまいました。
      
       
自分の人生を放棄したんです。。。
         
      
     
自分を表現しなかった我慢の連続で
感情や想いを封印していたのに、
     
封印されていた心の箱の蓋が
一気に壊れて
大噴火してしまったのです。

      

もういいやっ!と
人生諦めた途端、
   
目の前で起こる出来事が無茶苦茶になり、
     
加速度的に、
状況悪化を招いていきました。
      
      


思っていたことを
感情に任せて吐き捨てたり、
   
欲求を満たすために、
周りが傷つくとか考えずに行動したり、
怒りにまみれて
どす黒いオーラを出したまま
関係のない人にまで
念を飛ばし、
睨みつけ、
    
こいつなんかいなくなればいいとか
本氣で思うようになっていました。
     
      
      
これまで、
自分の表現をしてこなかったので、
感情の表現の仕方も分からなくて、
     
自分のことも、
周りのことも
大きく傷つける方法でしか
表現できませんでした。
      
      
      

自分が
自分のことを
見てこなかっただけなのに、
       
大噴火してしまった自分を
全く止められませんでした。
       
          

夫に対する想いも
我慢の連続でした。
     
    

あんなに優しい人なのに!
      
思いっきり依存して、
頼っていたのは私なのに!
   
     
切り捨てるようにしか
表現できなくなっていて、
     
    
なんと、
     
不倫という形で、
夫を裏切りました。
      
       
   

お相手もいることです。
          
この時は
本当に多くの方を
一氣に
傷つけてしましました。
      
      
      
不倫していることは
最早、夫にも氣づいて欲しかったので
あえて相手の男性とメールしている姿も見せていました。
    
  

この時、
夫は証拠を残すためにも
私に、探偵をつけていたことが後々分かりました。
     
       

直ぐに夫が相手の男性を訴える!と言い出し
裁判が開始。
     
相手の男性にも家族があったので、
逆に私も奥さんから訴えられることになりました。
     

そんなこんなで、
夫婦関係は速攻破綻。
     
       
   
      
    
そして、
自分も
急速に
壊れていきました。
     
      
     
      
思考停止状態
食欲なし
不眠
急激な体重減少
     
急速に自分の身体は
いうことを効かなくなって
あっという間に
寝返りすら打てない状態になりました。
     
     
       
     
仕事もできなくなったので
退職。
        
    
完全
ノックダウン。
    
     
   
完全崩壊の
暗黒時代へ突入したのです。
     
      

8 離婚から引きこもり生活へ
引きこもり生活がもたらしたギフト
       
 
急激なメンタルの低下から引き起こされた思考停止は、
自分の身体も、心も、仕事にも
多大な影響をもたらしていきました。
      
   
       
全く眠れず、
食事も取れないため、
体重なんか2週間ほどで、
一氣に10キロ減りました。
    

集中力も体力も急激に落ちていったので、
助産師の仕事に限界が訪れました。
   
       
その時の院長が素晴らしい方で、
私を尊重して、理由は聴かず、
働き過ぎで疲れたんだろうとお気遣い頂いて、
     
退職ではなく、一旦実家で休養を
取るように勧めて下さいました。
      
       
夫婦関係はこじれたままではありましたが、
話し合うなどの状況ではなかったため、
早急に実家に
引っ越すことになりました。
     
ですが、氣力も体力もない上、
思考も停止しているため、
引っ越しの手続きもできない状況だったので、
      
全て、私の友人が手伝ってくれて、
全ての準備を整えてくれました。
     
    
  
もう周りに
依存しまくりでした!!!
  
     
それから、
離婚となり、
    
裁判は判決が出るまでに1年半かかりました。
      
    
      
    
この裁判が
終わるまでの間に、
自分の中で
大きな変化が巻き起こっていきました。
     
      
    

先ず、
とことん自分から逃げまくりました!
    
         
スピリチュアルに依存して、
楽に切り抜けられる方法を模索し始めました。  
 
     
       
苦しい現状や
向き合いたくない物事を
  
何とかして、
自分以外の誰かが解決してくれないだろうか、
  
誰かが慰めて、
私は悪くないと言って擁護してくれないだろうか、
 
辛い状況から
何者かが救い出してくれないだろうか、
     
自分は何もしなくても
引き寄せや天使からのメッセージで
自分を癒し、
状況が一転していかないだろうか。。。。。。
      
      

もう、この頃の私は、酷い🤣 
      
      

原因も結果も
自分以外の外にある!!!って
思い込み、
兎に角、逃げまくっていました。
      
     
     

確かに、裁判も初めてで、
自分でどうしたらいいか分からないし、
      
思考停止していて、
判断もできない状態ではありましたが、
      
それにしても、
     
周りに依存し過ぎだし、
自分の人生を放棄し過ぎていました。
    
      
ま〜、
全く氣づいていない訳ですけど。。。💦
     

     
           
人の意見やスピリチュアルメッセージを鵜呑みにし過ぎて、
自分は何も悪くないと勘違いして、
      
自分以外の誰かに、人生を明け渡して生きることを選んでいたわけです。
      
       
もうね、
それはそれは
状況は悪化していくばかりでした。
      
 
そして、
状況が悪くなっていくことを
人のせいにしまくっていたんですよね。
      
     

私、最悪です🤣 
     
      
     

恥ずかしくて、
 
情けなくて、
 
悲しくて、
 
バカすぎて、
 
怒り狂って、
 
やるせなくて、
 
理解できなくて、
 
不安だらけで、
 
無気力で、
 
どうでもよくて、
 
不倫して、
 
欲求に逃げ、
   
沢山の人を悲しませ、
   
傷つけ、
 
誰かに依存しまくって、
 
しがみついて、
 
自分は
誰からも理解される事はないと落ち込んで、
 
自分は
特に悪いことをしてきたわけではないのに…と自分の事も他人も責め続け、
 
人と関わることが嫌になり、
 
全て投げ捨ててでも、
1人になりたくて、
引きこもりました。
         
 
     
人の話は聴きたくないけれど、
自分の話は聴いて欲しかった。
 
      
     
       
今思うと、
『他人に意識を向けつつも、
自分さえ良ければいい』になっていた 
あの頃。
 
     
 
         
自分の中の「今ある感情」と
向き合うのは
とても辛かった。
 
 
 
長年、
他人にとって「良い人」であり、
明るくて優しい人を演じ続けてきた
ツケが回ってきたと思った。
 
     
   
でも、本当は   
    
自分に意識を向けて、
     
自分に優しくしてこなかったから、
 
一氣に向き合うことになっただけだった。
 
      
       
 
バカじゃん。。。。。
 
 
     
     
                  
氣付いた瞬間から、
       
自分と本当の意味で
向き合う覚悟をしたのでした。
                   
              
          

【氣付きと
覚悟(決意)で
人生が180度変わる】ことを
経験した瞬間です。
       
         
     

これが、
引きこもり生活が私にもたらしてくれた
「ギフト」でした。
       
9 自分の人生への覚悟
       
      
何でこんな人生になったのか!!!
     
すごく
周りにも、自分にも怒っていました。
     
        

だけど、
自分に意識を向けて、
自分を大切にすることを放棄して、
 自分の生命を蔑ろ(ないがしろ)にして生きてきたから、
そのツケが回ってきたことに
氣づいてしまったんです。
       
       
      
一氣に向き合うことになりましたが、
私の中がすごく喜んでいることを感じとっていました。
       

そして、
覚悟をします。
  
       

何が何んでも!自分と向き合ってやる!!
今の心の状況を逆転させてやる!!!
自分の人生に責任を持って生きてやる!!!
生きる喜びを自分に感じさせてやる!!!
楽しく生きてやる!!!
      
      
      
決意して
覚悟を決めました。
        
     
肚を括ったんです❗️
   
  

覚悟を決めてからの
自分の成長・進化は
加速しました。
      
     
めっちゃ
実感がありました。
     

地に足をつけた状態で
目標を定めたので
自分軸がビシッと立った感覚がありました。
(どん底人生から約2年経ったころです。)
  
       
そしたら、
何が起ったのかというと、
      
そのために必要な情報が入ってくるようになったんです。
      
     
正に、
引き寄せが始まったんです‼️
      
    

そこからは、
行動あるのみ!!!
       
     
     
       
 今の自分を知る
    ↓
   氣づく
    ↓
どう在りたい?どう生きたい?(夢・目標設定)
    ↓
 決意・覚悟を決める
    ↓
 引き寄せ力発動
    ↓
今できることを淡々と行動
    ↓
経験・体感(失敗・成功)
    ↓
   氣づく
    ↓
   行動
    ↓
    ・
    ・
    ・
   繰り返し
      
     
         
引き寄せた情報や直感をもとにした
行動、経験・体感、気づきの連続が大切で、
それが
加速して自分を成長・進化させていってくれました。
         
    
いつしか
自分史上最強メンタルを手に入れるまでに復活していました。
(どん底人生から約7年かかりました。)

10 自分の生命が輝き出す
      

自分と本氣で向き合うと覚悟してから、 
         
本来の自分に目覚めて生きるって
どういうことなのか
経験・体感し始めました。
     

加速して動き出した人生ではありますが、
      
これまで生きてきた年数分、
蓄積された感情や思い込み、信念が出来上がっているわけです。
         

先ずは、自分に意識を向けて
丁寧に、「今の自分を知ること」から始めていきました。
     
        
ガッツリと決意しているもので、
動きだしたら、
かなりの集中力をもって
徹底的に自分と向き合い、
直感に従って行動しまくっていました。
     
    

     
そんな
ある日、
      
息子が生後2ヶ月で、
授乳していた朝5時半頃、
     
ある事が起きました。
       
    

     
まだ眠くて、
ぼーっとしながらも、
息子の可愛さに微笑みながら、
授乳していた時でした。
       
      

       
突然!
これまでの経験が
走馬灯のように思い出されたかと思うと、
     
自分の中から湧き出しているのか、
それとも宇宙からのメッセージなのか分からないのですが、
         
あるイメージと共に、
メッセージが自分の中に入ってきたんです!!!
    
       

で、
     
これまでの経験と
このメッセージがリンクして、
     
全てのことが腑に落ちたんです❗️❗️❗️
       
       
    

言ってみれば、
地球の法則、宇宙の法則です。
      


超ビビりました。
 
    
初めての体験でした。
     
     

忘れないように
授乳を中断して、
ノートに書き留めました。
        
     

この瞬間
自分の使命が分かったんです。
      
     
自分の経験を通して、
この法則を伝えていくこと。
      

   
そして、
本来の自分に還ることで、
ありのままの自分で生きる喜びを体感できるように、
     
分かりやすく道すじを記し、
寄り添って伴走していくことが
       
自分の使命であることに氣づいたのでした。
         
           

使命に氣づいてから、
     
自分と向き合い、
自分を癒し、
満たしていく中で、
     
直観で行動を起こし
流れやタイミングに乗って
生きるコツを掴めるようになりました。
       

     
      
自分の感情や思考の癖、固定観念、信念などが
自分の人生を創造していることにも氣付き、
     
どうすれば望む未来を引き寄せられるのか
実践を繰り返しました。
    

その結果👇👇👇
     
     
創造を楽しむべく、
ビジョンボードを作り、
       
念願のマイホームも手に入れ、
間取りや家具、景色、
子どもとの夢まで叶えることができました。
    
       

     
しかも、
メッセージを受け取る以前は、
氣付いていなかったけれど、
       
イメージやフォーカス、
感情を使って
未来を創造した時に、
     
14歳下の彼と出会って再婚し、
      
不妊だったはずの私が、
子どもを二人も授かることができた現実も
引き寄せていたことも思い出しました。
      
     
     
     

ステージが変わる時を
「意識」して過ごすことができ、
     
これまでの経験・体感を
今では、
自分の宝ものだと感じてます。
       
      
          

ですが、
ここに至るまでに、
時間も、生命エネルギーも、お金も、
多大なる投資をしてきました。
      
   
   
今こうして、使命にも気付き、
自分の生命を輝かせて生きるまでに投資した時間は、
            
どん底人生から約12年が経っています。
      
      
      

自己流で
体感・経験をしていくと
かなり時間もお金もエネルギーも必要です。
    
        
    
      
      
ですが、
私の経験やメッセージを生かしていくことで、
       
最短で、
自分史上最強メンタルを手に入れて、
     
波動を高め、
望む未来を引き寄せられるようになります。
       
     
    

どんな自分であっても許し、
     
自分に向けられている愛を全て受け取りながら、
自分の生命を輝かせて
人生を自由に、
      
楽しんで
喜びの中生きることができます💖✨
     
     

以前の私のように、
      
周りの目を氣にして
真面目にいい人で生きてきたのに、
  
なんで、
こんな思いをして、
こんな人生を歩んでいるのか
意味が分からない!と感じて
 
自己卑下し、自己価値を下げて、
人生を投げやりに生きてる方に
        
     
このエッセンスを届けたい‼️
      
      
     
そして、
どうせなら!
折角生まれてきたこの地球で、
    
自分の生命を輝かせて、
思いっきり人生を自由に楽しんで
生きて欲しい💖💖💖
       
      
      

こんな生き方が出来る人が増えると、
きっと、
お互いを尊重できて、
愛と調和が感じられる世界になるっ💕って
思っています🌈✨
     
        
     
     
こんな希望と情熱を持って
活動をしています。 
      
     


長文を最後まで読んで下さり、
本当にありがとうございました☺️💖
      


現在、LINE公式を整備中ですが、
整いましたら役立つ情報を
たくさんお届けするので、
楽しみにしていてくださいね❣️
       
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整備でき次第、ご案内致しますので、
楽しみにお待ち下さい🌈✨